閉鎖的な日本の保険市場と、このいかさま博打に、アメリカがイチャモンをつけてきたんだ。日本の損保はどこの保険会社も全社同じ料率、同じ内容の保険を販売しており、カルテルを行っているとね!結局、日本が外圧に負ける形で一九九六年二一月、日米保険協議が決着し、アメリカに大幅譲歩することとなったんだ。そして一九九八年七月から、損害保険料率が完全に自由化されてしまった。このとき自動車保険の通販も同時に解禁されたんだな。まさに保険業界も黒船来航によって護送船団はみごとに撃沈されてしまった。これ以後、自動車保険会社は生き残りをかけて新商品開発にしのぎを削るようになったし、もともと三八%もあった事業費率を削って三〇%程度まで下げたんだ。おかげで、おれの給料も二段階でダウンした。リストラで社員を減らし始めたのもこの頃だし、かわいそうに代理店の手数料も減り出した。体力のない弱小損保が大手に吸収合併され出したのも、この頃からだった。同時に、サービスセンターに新システムを導入し、支払い単価や認定日数など担当者ごとの細かい指標は、手に取るように管理できるようになったんだ。当然、支払いが厳しくなったのも、このときからだ。そして、今回の大量不払いの原因となったニーズ細分型自動車保険や、破損、汚損も支払えるオールリスク型火災保険などの新商品が、一九九九年から大量に発売されたんだ。